台 湾 軍 の 歌

社団法人日本音楽著作権協会作品コード:046-4177-9
作詞者権利:消滅    
作曲者権利:作曲者不明

  作詞者本間 雅晴氏は、大日本帝国軍人です。大正4年陸軍大学校を主席で卒業した本間雅晴氏は、陸軍へ入隊。イギリス、インドには武官として。そして台湾へは、昭和15年12月に台湾軍指揮官として赴いている。
  台湾軍の歌が発表されたのは昭和15年〜昭和16年頃と言われていて、作詞者本間雅晴は、間違いなく当時の台湾軍トップ台湾軍指揮官である本間雅晴氏である。本間雅晴氏は、その後、フィリピン攻略戦を指揮。有名なバターン死の行進の現場責任者でもあった。
  最終的な階級は、中将。
  戦後、バターン死の行進の責任者として、昭和21年4月フィリピン軍事裁判へ戦犯として出廷命令を受け、出廷。審議の結果銃殺刑が決まり、昭和21年4月3日に銃殺刑が執行され、銃殺刑により死亡。

私は、偶然この曲と出会い、作詞者に興味を持ち調べた結果がこれであった。
尚、現在は、台湾への外交上の配慮により、台湾軍の歌では無く、台湾派遣軍の歌と記する事が多い。

台湾軍の歌
            本間雅晴作詞

太平洋の空遠く
輝く南十字星
黒潮しぶく椰子の島
荒波ほゆる赤道を
睨みて起てる南の
護りは我ら台湾軍
鳴呼 巌として台湾軍

胡寧の戦武漢戦
海南島に南寧に
弾雨の中を牟幾山河
無双の勇と謳はれし
精鋭名ある南の
護りは我ら台湾軍
鳴呼 厳として台湾軍

歴史は薫る五十年
鳥の鎮と畏くも
神去りましし大宮の
名残りを受けて蓬莱に
勲を立てし南の
護りは我ら台湾軍
鳴呼 厳として台湾軍



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